「パンとサーカス」って何のこと?
昨日お話しした「パンとサーカス」というのは、詩人ユウエナリスが古代ローマ社会の世相を揶揄(やゆ=からかうこと)して「詩篇(しへん)」で用いた言葉のである。
権力者から無償で与えられた「パン…食糧」と「サーカス…娯楽」によって、ローマ市民が政治的文盲(もんもう)となっていることを示唆しているのだ。
為政者にとっては、社会秩序の為に、まず何よりも優先して、人々の腹を満たすことが大事!
人間は腹を満たしたら、次に欲するのは娯楽である。
それがサーカス。
現在のサーカスと違って、当時の「サーカス」は、「競馬(けいば)」と「剣闘(けんとう)」である。
時にコロッセオで人間同士が、あるいは人間と猛獣が闘い、それを大衆は見学したのだ。
精神的劣化が進んでいた大衆は、血なまぐさい剣闘を愉しみ、荒々しい競馬に狂喜乱舞したという。
ポエニ戦争後のローマは、中小自作農民が土地を手放し、都市部へ流入した。
しかしそんな彼らに仕事はなく、彼らの不満はいつ爆発してもおかしくない状況にあった。
繁栄を誇る当時のローマ帝国!にも関わらず富裕層は、一部の限られた人間だけ。
そこで権力者は大衆による「反乱防止策」の一環として、大衆に「パンとサーカス」をあてがった。
これによって政治的指導者は、大衆の目を逸らし、大衆をコントロールしたのである。
パンは人々の食欲を満たし、人々はサーカスによって快楽を享受した。
「パンとサーカス」という、権力者側の人間による「大衆の目を欺(あざむ)く」巧みな装置があったのだ。
このありようを批判したのが、「健全なる肉体に健全なる精神が宿る」という名言で有名な、上記の諷刺(ふうし)詩人ユウエナリスであった。
多くのローマ市民が、無条件に「パンとサーカス」をあてがわれていると、健全なる精神が芽生(めば)えるはずもなく、彼らはどうしようもない「愚民(ぐみん=愚かな大衆)」と化す。
これが権力者にとって、好都合な人間となる。何となれば、何もわからない人間は扱い易いからだ。
現在でも「愚民創出」の基本的手法は、何ら変わっていない。
そういった意味で、行政サービスに頼り切った生き方はそれ自体が健全とは言い難い。
今こそ、政治的に無関心な「盲目的大衆」とならない為に、自国並びに世界情勢に関心を寄せ、思考力を磨き、熟考できる一般人となる努力が求められているのではなかろうか?