お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

大学入試や就職活動、昇進試験等々…何を心がけて過ごせばいいの?

人間生きている限り、様々なことに心惑わされ、迷いつつ、生きておるなあ。
物事には固定的実体がなく、「空(くう)」だとする、佛教が言うところの「色即是空(しきそくぜくう)」の心境と、程遠い日々が続くのが世の常じゃ。

こんな時には、絵を描く時の遠近法を、思い出すとよかろう。
絵画における遠近法は、遠くの事物は小さく、近くの物は大きく描かれる。
絵の描き手は、自分の視点を定めて、そこから見える風景を、描いてゆく。
その結果、カンバスの一点に向かって、遠い所にある物ほど、小さく描かれるのう。

なぜ人間が絵画における遠近法を、みつけ出したか?
それは則ち、人間のものの考え方や、見方自体が、遠近法をとっておるからじゃ。

要するに、自分にとって関係が深い事柄は、大きく感じられ、重大な事と認識する。
その一方で、関係が浅かったり、薄いことは、小さく見えて軽い出来事として、とらえるのじゃ。
人生における遠近法の見方の根源には、人間本来が持つエゴイズムが流れておる。

人間は何かを判断する時、必ず、自分の視点から、判断しておる。
ということは、人間は、思考遠近法という、狭い枠組の中に生き、その狭い枠組の内に、死んでゆくのじゃ。

近々に起こる様々な事象と、しっかり向き合いつつも、大局観(たいきょくかん=大局についての見通しや判断)を持って、自分の生き方の王道を極めるべく、覚悟して生きて欲しいものじゃ。