お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

アイザック・ニュートンは未熟児で誕生し、学校ではいじめられっ子だったとか!根暗なニュートンの人生から学ぶとしたらどんな事があるの?

大航海時代後の17世紀から18世紀に生きた偉人ニュートン
彼が産まれた時は、超未熟児で、大人になるまで育つかどうか・・危ぶまれたそうじゃ。

学齢に達しても、読み書きに対し、一切興味を示さなかったといわれておる。
ニュートンが誕生する前に、父が亡くなっていたこともあり、母はニュートンの養育費を得るために、彼が3歳の時に再婚する。
そのためニュートンは祖母に育てられたという。

そんな状況のニュートンに対し、周りの友達は「間抜け」と命名したというから、今で言えば、彼はいじめられっ子だった・・ということ。
然も母から十分な愛情を得る事が出来なかったために、暗い性格に育っていったようじゃ。

18歳で幾何学に興味を持ったニュートンは、1661年にケンブリッジ大学トリニテイカレッジの給費生となった。
当時大流行していたペストのために、1665年ケンブリッジ大学は閉鎖された。
ニュートンはこれをきっかけとして、故郷のリンカーシャーへ戻り、自由に思考する時間を得たらしい。

その結果、「万有引力の法則」や「運動の基本法則」という世紀の大発見をし、「微分積分法」も開発する。
この「微分積分法」は、1666年頃開発したようだが、この時点では公表していない。

1684年ライプニッツが「微分積分法」を発表した後、ニュートンは、1687年「プリンキピア」(自然哲学の数学的諸原理)を発表している。

こうした歴史的偉業を成し遂げたニュートンであったが、「ぼーっ」としたり、度々奇異な行動をとったらしい。
愛情たっぷりの環境で育ったわけでもなく、いじめられっ子で、大学に入学したからとて、授業料免除の代わりに雑用を義務付けられている「給付生」の身分では、思うように研究時間を取ることが出来なかった。

そんな中で、ペスト流行によって、大学が閉鎖されるという状況が巡って来たおかげで、思索する時間を得て、本来の脳力が開花したニュートン

様々な環境下にあっても、自分らしい時間を獲得することで、本来の自分に目覚めることがあるのだ・・ということに気づかされる。
ヨーロッパが、ペスト菌によるパンデミック状態にあっても、その状況がニュートンに思索する時間を与えた・・という奇跡!

如何なる状況に陥っても、自分の信念を貫く「強い意志」!これが人生を変容させるのじゃ。

成人するまで生きていないだろう・・と思われたニュートン
その彼が、自然科学(物理・数学)における、史上空前の大天才となった。
ニュートンに匹敵するのは、ニュートン以前では、アルキメデスぐらいで、ニュートン以後は、未だ出現していないと言われておる。

どんな環境であっても、自分を諦めずに精進する事が大事じゃなあ。