お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

何かに熱中したいけど、熱中出来ない。どうすればいいの?

何をやっても中途半端で続かない…とか、一生懸命取り組んでいるのに、ふと嫌になってやめてしまう…。
あるいは惰性で日々生きている…などなど…。

何かに熱中し過ぎて、食事さえ忘れる…なんてことを、一切体験した事がない人間も多い。

しかし人間として生まれた以上、何かに情熱を燃やして生きられるのが本望であろう。
では熱中するものがない人はどうすればいいのか?

先ず今やらねばならない事をさっさとやり終える。
やらねばならない事は多いであろうから、最低限やらねばならぬことに絞ってやり終えてしまう。

次に、あまり緊張せずにやれることで、少しでも楽しくなる事をやってみる。

最近見た映画が印象に残っていたら、もう一度見てみる。
気に入った公園があれば、そこに行って少し「ぼおーっ」とする。
一度入ってみたいと思っていた喫茶店でお茶を飲むのも良かろう。
但しこれらは全て一人でやってみる事。

今まであまりやったことのなかった、ちょっとした変化を楽しむゆとりが、自分を糺してくれる。
人間が生きるための恒常性というか…人間性ホメオスタシスが回復するきっかけを作る事
これが大事!

俗にホメオスタシスといえば、生物体の体内の諸器官が、外部環境の変化や主体的条件の変化に応じて、統一的に体内環境を一定レベルに保っている状態及び機能のことを指しておる。

これは人間性そのものにもあてはまる。
人間が高度な人間性に根ざして生きようとする時、外界からの様々なストレスに太刀打ちいかなくなったり、理不尽な世の中に絶望するかもしれぬ。

自己の内面に目をやれば、自分自身に不誠実な自分を発見し、慌てふためいたり、内的不都合に悩まされる。

自己内省など全く興味無し…という御仁にとっては、内的充実など我関せず…とばかりに嘯(うそぶ=偉そうなことを言う)いておれよう。

しかしながら、良心的に自己の「生」を全うしたい…と願えば願うほど、自己内省無くして生きる事は出来ぬもの。

何かに熱中出来ない…などと、悲観的思いに駆られる必要は全く無い。

今この瞬間の「生」を精一杯楽しもうと努力する。
この積み重ねが何よりも大事な事。この瞬間・この瞬間が積み重なって、寄り集まって未来へと続いて行く。

今を充実させて、楽しく生きる努力を重ねること…これこそが、何かに熱中して生きることと繋がってくるはず。

先ずは少しだけ挑戦的で、自分らしい何かをやってみたらどうかな?