お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

国際化が叫ばれる昨今ですが、国際化って一体何なの?(1)

英語で「国際化」と言う言葉が使われ始めたのは、ほんの200年ほど前からのこと。
一つの問題が生じた時に、一国だけの自由に任せず、いくつかの国々がその問題を共同協議し、それを処理する…と言うのが、「国際化」の考え方だということ。

ところが多くの日本人がイメージする「国際化」というのは、ローカルな国が、より普遍的で、世界共通の社会に参入すること。
これが「国際化」だと考えておるようじゃ。

日本人が「国際化」を目指す…と、世界で声を上げると、とんでもない誤解を受けるやもしれぬ。

世界からすれば、「日本は主権を放棄し、世界に自国の管理を任せるのだ…」と勘違いするかも知れぬ。
日本は自国を国際共同管理に任せてしまい、自国の運命や行く末を、独自で決定できない国なのだ…と誤って受け止められかねない。

そもそも「国際化」というのは、相互的にA国とB国がお互いに授与しあい、享受し合うことで、両国の間に共通事項が増して行く。
二国の社会は徐々に均一的、均質的なものへと変容することを指しておる。

ところが日本では、1960年頃までは、国際交流の流れが一方向に向かっていたと言わざるを得ない。
諸外国から日本に様々な文化・社会的知見・経済や政治システム・宗教などなど…多くの物や考え方・哲学が、文献や人材などを介して様々な国から齎された。
ところが、日本から外国に向けては殆ど、発信されることはなかったと言えよう。
一方的に物や文献の流入があったと言うわけじゃ。

日本人は外国から入ってくる物や考え方・思想に対して、比較的柔軟に受容するものの、意外にも外国の方では、頑として自国の考え方・物の見方を死守しようとする傾向があるように思える。

よって日本では、様々な点で、外国から流入した文化・文明を換骨奪胎する事が出来た…という利点もあった。
反面、他国の文化や考え方に左右され…と言う弱点にもつながっておる。

明日は「国際化」の三つのタイプについて話したいと思う。