拉致啓発アニメ…って、どんなアニメなの?
北朝鮮による拉致問題を解決するために、若い人達の理解を促そうと制作されたドキュメンタリーアニメ「めぐみ」は、全国の教育現場での啓発活動に資するためのアニメであった。
このアニメは、政府の拉致問題対策本部が、若年層に北朝鮮による拉致の実態を把握し、拉致問題に対する理解を深めるべく制作された作品であった。
ところがようやく制作されたこのアニメが十分活用されていないらしい。
都道府県や政令市のおよそ半数が、アニメ「めぐみ」の上映実態すら掴んでいない…というお寒い状況らしい。
高校での上映の割合は昨年度の場合、十数パーセントにとどまっておると言う事。
拉致問題の解決無くして、日本が本質的独立を果たしているとは言えまい。
かつて三島由紀夫は、『文化防衛論』や「果たし得ていない約束―私の中の二十五年」で、戦後民主主義を批判した。
三島由紀夫は、第二次世界大戦後に、それまでの日本の連続的で文化的な価値、歴史的な価値・精神的な価値の全てが悪いとみなされ、国民精神が一旦オールクリアになってしまった事を深く憂いておった。
戦後日本に生まれた「大衆社会」というモンスター!この大衆社会の中で最も優先される価値観は、「お金を設けて日々楽しく暮らす事」であり、そのために自国の大事な文化や財産をも捨ててしまう。
これを三島は危惧していたのだ。
拉致問題は人権問題である…と、誰もが納得せざるを得ない表現で語られる。
然し乍ら、日本が民主主義を標榜する国である以上、自国民の身の安全すら守れないようでは、民主主義が健全に作動している国とは言い難い。
現今の日本は、一番大事な事をオブラートに包んで表現する、見栄えだけの「民衆主義」に陥っている。
突如他国に拉致された同胞(どうほう=同じ国民・民族)を、むざむざ見捨てて平気でいる国に成り下がっておるのか?
それほど身勝手な大衆によって、日本が占有されておるとは思いたくはない。
先のアニメに頼らずとも、中学生・高校生を持つ家庭は率先して、拉致問題について家族で話をしないのだろうか?
自然災害が襲って来た時、家族の絆の話が出てくるが、拉致問題は「日本」といういわば大家族が、他国の独裁者によって、日本の主権が侵害される…という、傍若無人(ぼうじゃくぶじん=人前を憚らず、勝手気儘にふるまうこと)な振る舞い。
これを平気で野放しにする日本人に、本当の意味での人間同士の絆の意識があるのだろうか?
それがこのアニメ普及が思うように進まぬ真の理由のように思えてならぬのじゃ。