お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

山口県岩国市で論争されている「トロッコ問題」って何ですか?

「トロッコ問題」というのは、2010年に逝去した哲学者フィリッパ・ルース・フィットが提唱した「人間が道徳心から生まれるジレンマにどう対処するのか」を見る倫理学的思考実験のこと。

線路の上を走るトロッコが、突如制御不能になったとき、そのまま進めば五人の作業員が確実に亡くなる。
この五人を救うためポイント(分岐点)を切り替えると、一人の作業員が確実に亡くなるという設定。
そんな状況のもとで、線路のポイントに立つ自分はどう行動すべきか?これを問う問題。

何もせず五人の作業員を見殺しにし、一人を救うのか?将又、一人の作業員を犠牲にして五人を救うのか?どちらを選択しても後味の悪い結果となる。

山口県岩国市の市立東小学校と東中学校で、「多数の犠牲を防ぐためには一人が亡くなってもいいのか?」を問う、上記に述べた思考実験「トロッコ問題」を資料にした授業があった。

ある児童の保護者から「授業に不安を感じている」との指摘を受け、両校の校長が、授業内容を確認していなかったとして、児童・生徒の保護者に文書で謝罪したという出来事があった。

この授業は5月の「学級活動」の時間に、スクールカウンセラーが行った授業らしい。
東小の5・6年生と東中の3年生、計331人を対象として行われたという。
授業目的は、選択に困ったり不安を感じた場合は、周りに助けを求めることの大切さを知ってもらう…ということだそうだ。
両校で児童・生徒に緊急アンケートを実施したところ、東小で数人の児童が不安を訴えたらしい。

そもそも「トロッコ問題」資料と授業目的が噛み合っていない。
これが大問題だ。
瞬間判断が求められる線路切り替えポイントでの判断。
にもかかわらず、周りに相談すべき…という解答を得たいスクールカウンセラー
この教える側の思考の稚拙さにあんぐりする。

いずれにせよ、このニュースを聞いて思ったことは4つある。

1つ)は、決して正しい解答が見つからない問題を解こう…と、子供達にチャレンジさせる数少ない好機が二校に与えられた…ということ。

2つ)は、この程度の内容で、保護者からクレームがつくのだということ。


3つ)は、世界を見渡せば、日常的に不合理なことが起こっている。
ところが自分及び自分を取り巻く環境だけは、平凡で安全な日常を確保できている、あるいは確保したい…という欲求の強さを感じること。

4つ)授業目的と授業内容が噛み合っていないこと。



まず1つ)目は、Aと言えばA’、Bと言えばB’…と言った具合に、分かりやすい安全な問題ばかり解かせようとする「大人の身勝手さ」を感じる。
理不尽で不安を引き起こすような問題に答えようと努力する。
これこそが、その子らしさ、人間らしさが発現する好機なのだ。
子供達の秘めたる能力発現のチャンスを、大人の一方的考え方によって無闇に奪ってはいけない。
「トロッコ問題」は、欠伸を噛み殺しながら学習せざるを得ない、ありきたりの授業より数倍面白い。

2つ)目は、我が子を自分の所有物だと思っていないか?
子供であっても、一人の人間として扱うべき。
人間が真に自分らしく生きるためには、清濁双方を体験あるいは、疑似体験すべきであろう。
子供は飾り物ではない。
現にグリム童話にある多くの童話は、人生の示唆に富んでいる。

あの「ヘンゼルとグレーテル」では、兄妹を捨てるのは、継母(ままはは・けいぼ)である。
実父は一度は子捨てに反対するものの、継母に言いくるめられ沈黙する。
義理の母に捨てられ、実父もそれに同意する…という、子供にとってのこの世の地獄のような出来事を抱えながら、兄妹は森で道に迷うのだ。
「絶望からの帰還」を優先する教育。
これを外した教育は、教育だといえないのではなかろうか?

3つ)目は、常に世界を意識して生活していれば、日本がどれほど恵まれた国であるかがわかるはず。
これが理解できないとすれば、大人自らが「世界の現状」を学び直す必要がある。
自分さえ良ければ、自分の家族さえ助かれば良い、自国さえ優遇されれば後は目をつむっていよう。
これではいつまでたっても、真の教育はできないのではないか?

4つ)目は、前述した通り、未熟な教師による授業目的と資料の読み違えが生じた(授業の失敗例)という事。

以上、岩国市で起こった「トロッコ問題」について述べてきたが、これは何も岩国市だけの問題では無い。

今こそ日本中の大人達が、日本の将来を担う子供達の教育と真剣に取り組まねば、「日本の精神」そのものが、雲散霧消するのでは無いか…という危惧が募った出来事であった。