お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

「強勉問学(きょうべんもんがく)」の本当の意味を教えて!

吉田松陰は頻繁(ひんぱん)に、意義深い四字熟語を駆使し、熱い想いを綴っている。
その中には、「強勉問学」という言葉が残されている書簡が存在する。

「強勉問学」とは、一言で言えば、一生懸命に学問に努める事を言う。
我々が普段使う「勉強」や「学問」と言う二字熟語。「勉強」というより、「強勉」が与えるイメージの方が、切迫感を与えてくれよう。
また「学問」よりも「問学」の方が、柔軟な思考が想起せられるように思う。

嘉永(かえい)四年十二月九日の「山田宇右衛門(やまだううえもん)あて書簡」には、次の一文が記されている。

近状(きんじょう)如何(いかん)。諸位(しょい)の書(しょ)なきこと已に(すでに)久し。意(おも)ふに、強勉問学(きょうべんもんがく)、復(ま)た余力の他事(たじ)に及ぶなからんのみ、喜ぶべし、畏(おそ)るべし。少年俊才の徒(と)は駸々(しんしん)として進みて已(や)まざるか。夫(そ)れ学びて勉(つと)めず、勉(つと)めて道を失ふ者、天下に之れあり、実に慨(なげ)くべきなり。

訳すと次のようになる。

お元気ですか?皆様からの手紙も久しくありません。考えるには、必死に学問に努めておられ、余力を他のことに向けることができないのでしょう。よろこぶべきことであり、誠に畏(おそ)るべきことであります。
才知に長けた少年は、どんどん学問を進めていますか?学んでも勉励(べんれい=つとめ励むこと)せず、励んでも道理を見失う者は、天下に多く居ます。実に哀しい事です。

吉田松陰がこの書簡を書いた頃は、「東北遊」の旅を目前に控え、必死に学問に努めて(強勉問学)居た頃だと言われている。

松蔭は仲間が必死に勉学に勤(いそ)しむ様を、心嬉しく想像している。
「喜ぶべし、畏るべし」という言葉の内に、心素直に学び続けることの先にある「生への祝祭」として、立派な男子は小事に拘(こだわ)ることなく、磊磊落落(らいらいらくらく=物事に拘〈こだわ〉らない)として、日月の煌然(こうぜん=かがやくさま)たるようにあれかし…!との思いを秘めているように思うのだ。

吉田松陰の生一本(きいっぽん)な生き様を垣間見ることが出来る言葉として、「強勉問学」を挙げてみたのである。