お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

「いつきのひめみこ」(伊勢の斎宮)って何のこと(1)?

「いつきのひめみこ」とは、「斎王(さいおう)」を大和言葉(やまとことば)で言い表したもの。

「斎王」の「斎」と言う字は、清浄なるとか、清らかなる・穢(けが)れなき…と言う意味を表す。

「斎内親王(さいないしんのう)」或いは「斎王」と言うのは、「清浄なる天皇様の皇女」又は、「清浄なる皇族の女性」と言う意味にでもなろうか。

どうして「清浄」でなければならないのか?といえば、伊勢の太神宮に於けるお祀りにご奉仕される最高責任者として、自ら伊勢に赴き、皇祖神「天照大御神様」(あまてらすおおみかみさま)をお祀りされる方だから。

平安期には幼少の天皇様が多くいらっしゃったため、お子様がいらっしゃらないことがあり、その場合、「斎王」は、ご皇族方の「女王」と呼ばれる方々から選定された。
この場合は「斎王」とお呼びし、天皇様の皇女、則ち内親王の場合は、「斎内親王」とお呼びする。
これらは全て卜定(ぼくじょう)で決められた。

「斎王」と呼ばれる方には、「伊勢斎宮」と「加茂の斎院」の二種類存在した。
各々、斎宮斎宮)・斎院(さいいん)と言う建物が用意され、そこにお住まいになられた為、建物の名前から、其々(それぞれ)上記の如くお呼びしたのだ。

最も体系化された時期における「斎王」の制度についてお話ししたい。
天皇様が御即位遊ばすと、令和の今上天皇様(きんじょうてんのうさま)御即位の様に、「大嘗祭(だいじょうさい)」・即位式等の儀式が行われた。
そして、「伊勢神宮」にお仕えする斎王を卜定で選ぶ。
令和の御一代一回限りの大嘗祭でも、「主基(すき)」地方「悠紀(ゆき)」地方の米の生産地を決める場合に用いられた、「亀卜(きぼく)」と呼ばれる卜定が、斎王選定の卜定として用いられたのだ。

天皇様が即位されて一週間ほどで卜定が行われ、決定した斎王予定者は、平安期の場合、大凡(おおよそ)三年間、斎戒沐浴(さいかいもくよく=心を清め、身を洗うこと)し、身心潔斎(しんじんけっさい)する。
はじめに「初斎院(はつさいいん)」に入り、その後より厳しい斎戒沐浴を行う為に、「野宮(ののみや=潔斎のためこもる宮殿)」で一年ほど潔斎生活を送る。

こうして漸(ようや)く「伊勢斎宮」は、伊勢に赴くのである。
「大局殿」で「発遣の儀(はっけんのぎ)」が行われるのは夜。
この時天皇様は、御座所から平座に降り、参入した斎王を御前に呼び寄せ、斎王の額髪(ひたいがみ)に黄楊(つげ)の櫛を挿しつつ、こうおっしゃるのだ。
「都のかたに、赴きたもうな」と。

かくして天皇様は生きて再び会えぬ別れの言葉を斎王様に告げられた。
これを「別れの御櫛」と呼び、この時斎王は決して振り返ってはならぬ習わしであった。

愈々伊勢に向かう千人を超える壮大な「群行」が行われた。
これが天皇様の代替わり毎に行われ、南北朝まで凡そ六百六十年も続いたことに驚きを禁じ得ない。
各地の頓宮(とんぐう=仮宮)で五泊し、ようよう伊勢に到着する。

【続く】