お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

12月4日アフガニスタン東部ナンガルハル州ジャララバードで、一人の崇高な意志を持つお医者様が、武装グループによって撃たれ無念の死を遂げた。
その方の名は中村哲氏(73歳)である。
劣悪なる治安のアフガニスタンで、長きに亘って、灌漑事業等の農業支援や復興支援に取り組んできた日本人医師である。

用水路建設の工事現場に向かう中村さんの車が襲われアフガン人5名も犠牲になった。
武装グループはまず中村氏のボデイガードを殺害し、その後中村さんと運転手を撃ったという。
武装グループは生存者がいないか確認した後、立ち去ったとみられている。

武装グループのメンバーは、アフガンの主要言語であるパシュトー語を話し、地元出身者であると考えられている。
今年の11月からIS(イスラム国=イスラムスンニ派過激組織)の掃討(そうとう)作戦が進められていた。
しかしISが反転攻勢に転じる可能性があったらしい。

1984年中村氏は、パキスタンのアフガン国境で医療活動を始め、難民の診療も行なった。
1991年にはアフガンに診療所を開設した。
2000年には干魃(かんばつ)による水不足で子供達の栄養失調や感染症が急増した。
WHO(世界保健機関)に拠れば、400万人が飢餓(きが)に晒(さら)されたという。
中村氏の診療所には、下痢で脱水症状を呈している幼児を抱(かか)えた母親が押し寄せた。

そうなれば、もはや治療どころではなくなってしまった。
薬よりも清潔で安全な飲料水を確保する必要性を痛感した中村氏は、多くの井戸を掘り始めたのだ。
さらには荒れ果てた田畑を蘇らせるために、灌漑用水路の建設にも着手した。
日本の伝統的技術を独学によって学び、自らが重機を運転し、灌漑用水を造ったのである。
この灌漑事業は、現地での雇用増加を推進する手立てともなったという。

2001年の米国同時多発テロの犯行拠点となったのがアフガンだった。
2001年のアフガン戦争の後、米軍を始めとする外国部隊が治安を担ってきた。
一日も早くアフガン政府や軍が自立し、復興され、アフガン国民が極度の貧困に見舞われないようにしなければなるまい。

火野葦平(ひのあしへい)の代表作『花と龍』の「マン」のモデルとなったのが、中村氏の母方の祖母で、剛毅(ごうき=意志がしっかりし物事に屈しないこと)な女性だったという。
この祖母が「弱い者を守れ!」という教えを中村氏に伝授したようである。

中村氏を襲った武力グループは未だ特定されていない。
犯人を早急に見つけ出すと共に、日本はアフガンへの献身的援助を続けなければならない。
今回の中村氏襲撃の裏には、灌漑事業によって豊かなった土地を巡る利権絡みの犯行が隠れているとも言われている。
「弱い者を守る」には、様々な知恵を巡らす必要があることと、弱い者を守りぬく…!という、「強靭な使命感」が必要だと痛感する。

中村氏のご冥福を心よりお祈り申しあげたいと思う。