先日凶弾に倒れた中村哲氏が日本の若者に与えたものは何なの?
今から13年ほど前に、西日本新聞の記者である吉武和彦氏が、当時NGO(非政府組織)「ペシャワール会」の現地代表をしていた、中村哲氏にインタビューしたことがあった。
これは当時(2016年)、「ニート」と呼ばれる60万人を超える「若年無業者」に関する取材だったという。
アフガニスタンなどで、医療・農業支援を行っていた中村氏が、引きこもりや無職の青年達をアフガニスタンで受け入れ、井戸の掘削や水路建設の仕事を手伝った事業についてのインタビューであった。
それに拠れば、貧困に喘ぎ、究極的困難に直面する現地の人達を目の当たりにした(ニートの)彼らは、まるで人が変わった様に、生き生きと土を掘り、懸命に石を運んだと言う。
ところがそんな彼らが日本に帰国すると、瞬(またた)く間(ま)に輝きを失い、再び元の状態に戻ってしまう…という。
そんな中でも、自分の存在意義を実感できる「場」を得ることができた一握りの若者だけは、帰国後も社会で活躍することが出来ているらしい。
中村氏の灌漑事業は、疲弊しカラッカラに乾燥した大地を、見事な「緑の宝石」に変身させていった。
そんな大変身を遂げた「緑の大地」の勇姿に、狂喜乱舞する地元の人達。
そんな人々と共に汗や涙を流した若者達は、心底より歓喜・感動の歓びを体感し、生きる喜びを実感したことだろう。
日本は豊かさと引き換えに何を失ったのか?
2008年には、前述のペシャワール会の元スタッフで、現地で拉致され、殺害された伊藤和也さんのご両親は、ご子息の遺志を継ぐために基金を設立され、寄せられた3000万円からアフガンに、文房具や農業機械を贈り、モスク(イスラム教礼拝所)の寄宿舎まで建てている。
中村氏を慕った数多くの若者が、アフガニスタンの為に働き、現在も働き続けている事を知る時、頭が下がる。
中村氏は生前、「人の幸せとは三度のご飯が食べられ、家族が一緒に穏やかに暮らせること…」と、説いておられたとか…!
過日お話したように、中村氏の祖父は火野葦平の小説『花と龍』のモデルになった、玉井金五郎氏である。
玉井氏は、「正しいものは最後には必ず勝つ」という正義感を持っていた。
この祖父同様に、中村氏と彼を取り巻く若者達の見事な生き方に、人間の究極の美しさと豊かさを感じる今日この頃である。
日本は「目に見えた豊かさ」と引き換えに、人間としての「内面の豊かさ」を、とうの昔に失っているのではなかろうか?
今一度これと真摯に向き合い、日常の一つ一つを丁寧に、謙虚に生き、世界中に目を向け、人間の根幹を充足させる真なる意味での「生きる智慧」を模索し、実践する必要が求められている。