お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

広島原爆投下の日に問ふ…戦争とは何ぞや?(1)

戦争形態の変遷とその実相

近世軍事学者クラウゼビッツは、戦争とは、政治とは異なる手段を以って行う政治の継続であると述べている。
またフランスの社会学者であり人類学者でもあるロジェ・カイヨワは、戦争を支えるのは、システムだけでなく、戦争に惹きつけられる人間本性のなせる技でもあると語っている。
則ち、兵士の一人一人が、一個の砲弾や機械の部品同様に消費される戦争だが、しかしこれを引き受ける事で、人間の価値を見出そうとする思想が立ち現れる…というのだ。
さらにカイヨワは、戦争とは第一に組織行動であり、「破壊のための組織的企て」であるとし、戦争の方法は、その時々の文明の状態と密接に関係するとしている。戦争は文明と共に成長し、時に文明を生み出すのだ。

カイヨワの言を借りれば、戦争は社会状態に従って、階級差のあまりない部族戦争・封建社会における戦争・帝国戦争…とあって、最後に国民戦争に行き着くとしておる。
狩猟に近く、組織的軍隊を持たない原始的戦争。
貴族が戦闘を担当し、象徴的勝利に重きが置かれる封建社会の戦争。
帝国戦争は物量を備えたものによる行政的戦争。

ところが国民戦争は前述の三種の戦争と内容を異にする。

それは過度ということ、野蛮ということを知らない戦争。
相手を降参させるためならどんなことも行うのが、国民戦争の特徴なのである。
国民戦争では、自己を超えた真の偉大さを獲得した…と勘違いした国民が、自らの自由を「戦争の中」に見出していくのだ。

コンピューターや人工衛星を飛ばし、「核兵器」が量産される。
核兵器」の登場によって、戦争が人類の知的能力をはるかに凌駕してしまっている。
この歯止めが効かない戦争の在り方は、今まさに自走し続けているのだ。

平等な国民が生まれた結果、総力戦で戦うこととなった。
そのきっかけを作ったのがフランス革命であり、その後のナポレオン戦争で総力戦が確立したと言っても過言ではない。

クラウゼビッツが言ったように、まさに「戦争の為に政治は有る!」と言えるようになってしまった。
W.W.I(第一次世界大戦)前後のイギリス陸軍少尉であったJ・F・Cフラー。彼は、「マスケット銃が歩兵を生み、歩兵が民主主義を生んだ」と語っている。

本日令和元年8月6日は、日本が世界初の被爆国となって迎える74年目の「原爆の日」だが、国際的緊張関係が高まる中、核兵器廃絶の動きは停滞している。
抑止力として核兵器による反撃というものが、核兵器使用を踏みとどまらせているのが現状なのだ。

日本を核兵器の脅威から守っているのは、米国による「核の傘」である。
とすれば二年前、国連で採択された(核兵器を違法化する)「核兵器禁止条約」に日本が署名するとなると、日本を守る米国の「核の傘」を否定することになり、日本の平和を危うくすることにつながるのである。

明日は戦争の根幹について語ってみたいと思っておる!