お不動様のひとり言

お不動様のお言葉に乗せた、ほのぼの心嬉しいお話のブログ。

私は佛様の中でも、お不動様が大好きです。
お不動様のお名前の由来は、ゆるぎない悟りを求める心…ということです。

絵像では、燃え盛る火炎を背負い、眷属(けんぞく)の矜羯羅(こんがら)童子と、
制多迦(せいたか)童子を従えているのです。

このお不動様のお言葉に乗せて、
ほのぼのと心嬉しく豊かになるお話をしたいと思います。

呉善花さんの著書『日本的精神の可能性』について教えて!(4)

世界に例のない日本のアニミズムとは?

日本の神道は強烈なものを取り除こうとする傾向がある。
強烈な音・強い臭いや強い色合い、とりわけ血を嫌う。
兎に角、強い刺激を嫌って、静謐(せいひつ)で清浄なるあり様を、殊の外好む傾向にある。
しかもそれはアニミズム的且つ静的シャーマニズムを含有する。

例えば、ネイティブ・アメリカンのシャーマンは、自らが地下世界や天上世界に出かけるが、日本のイタコに見られる日本的シャーマンは、黄泉の国からこの世に魂魄がやって来る。

則ち外国のシャーマンは、自らが対象物を目指して旅に出て、相手に憑依(つ)きに行く。
これに対し日本の場合は、対象物や人間・自然の方から、こちらにやって来てシャーマンに憑依(ひょうい)する。
日本のシャーマニズムは世界に類例のない世界観を有しておるのだ。

呉善花氏は次のように述べている。


(世界のシャーマニズムは)…強烈な刺激を好み生贄(いけにえ)の血を流したりする儀式や、騒然たる音響や踊りのうちに神がかりをするのである。沖縄のユタや東北のイタコには、そうした片鱗はうかがえるものの、韓国のムーダン(シャーマン)などの激しさの比ではない。
(同書233から234ページ)


アジア土着のアニミズム世界は、元々は、かなりおどろおどろしていて、騒がしい世界観を持っておる。
呉善花氏は、日本も初めはそうであっただろうと推測している。
日本と他のアジア諸国との違いは、アジアの賑々(にぎにぎ)しい土着的アニミズムが、消え去る中で、日本のそれは、徐々にソフトになっていったと、氏は述べている。

「静謐さと清浄さ・正直さ」を保持することは、神道を通暁(つうぎょう)する人達にとっては当然のこと。
神様の前では大声を発することは堅く禁じられておる。
また俗にまみれた心身を、しっかり清めてからでなければ神前に向かう事は出来ぬ。
これらは神様と出会うための当然の礼儀とされる。また呉善花氏はこうも述べておる。


日本の神道は、神と出会う前に、日常的な行為や態度を慎(つつし)むのである。そして、神と出会ったならば、飲めや歌えやの祭りとなって騒ぐのである。(中略)神道では、神との出会いを待つところに重点がおかれている。そのために慎むことが大切だとされるのならば、それは単に神の前では敬虔(けいけん)であれという意味だけではなく、慎む事そのものに何らかの意味があることになるのではないか?(中略)無から有が生まれるのであり何か意図的な作為によって物事が生まれるのではない。だから、意図的な作為をでき得る限り排除する。
(同書235から236ページ)

日本人の有する世界に誇るべき感性=意図的行為を極力無くし、無から有を生じさせる感性=を、さらに洗練させる事で、世界に貢献できることがあるのではなかろうか?