南方熊楠(みなみかたくまぐす)について教えて!
南方熊楠は、博物学・民俗学の先駆者と言うべき人物。
さらには植物学…とりわけ菌類・地衣類・藻類の代表的な日本の学者。
『ネイチャー』『ノーツ・アンド・クエリーズ』などへも意欲的に投稿し、『ネイチャー』への投稿は、51論文にもなり、単著としては他に類を見ない論文量だと言われておる。
また柳田國男らが結成した郷土研究会の機関紙『郷土研究』が刊行されると、論文を寄稿し、日本民俗学に大きな影響を与えたとされる。
とりわけ明治末期、神社合祀(ごうし)政策を政府が推し進めようとした際には、貴重な神社林や史跡保護を訴えて、自然保護活動を行なった。
そのお陰で、貴重な熊野の自然が守られた…と言われる。
熊楠が当時の摂政宮(せっしょうのみや)であらせられた昭和天皇へ、初めて「変形菌標本」を進献したのは、1926(昭和元)年11月10日のこと。
変形菌にご関心の深い摂政宮の内意があったとされる。
1929(昭和4)年6月1日、熊楠はフロックコートを着用して、昭和天皇を神島にお迎えし、お召艦で秘蔵の収集品をご覧に入れたという。
陛下は進講時間を延長させてまで、熊楠を労(ねぎら)われた。
この折に熊楠は、大きなキャラメルのボール箱に標本を詰めて持参し、このことは今でも語り草となっている。
人文・自然科学にこだわること無く、自分が興味を抱くもの全てを研究しようとした熊楠は、本当の意味で「アニミズム」の意味を体現していた人であったろう。
熊楠は昭和天皇にご進講を行なった「神島」の天然記念物指定に尽力した。
また、彼が神社林・景勝地を護ったお陰で、今ではそれらが国の文化財や世界遺産となっておるのじゃ。
人間が自然の中で生かされておる事を誰よりも理解し、その神秘を科学的に解明しようとした南方熊楠の功績は、比類なきものであったという事に、今さらながら気付く昨今じゃ!